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写真で巡るDVD+R/RWフォーマット誕生の歴史
迷宮写真家が光ストレージ業界に足を踏み入れたのは1999年3月の事である。長年この業界に居る様な大きな顔をしていると言われる事も有るが、実はまだ10年にも満たない新参者である。尤も、IT業界ではDog Yearで数える故、10年も居れば大ベテランと言う事に成るのかも知れないが、プラスの部屋の面々の多くは業界では先輩だ。
めくるめくDVD+R/RWフォーマット誕生の歴史を迷宮写真家自らが捉えた写真で巡って見よう。
迷宮写真家がこの業界に足を踏み入れた当時はDVD+RWの3.0GB版のフォーマットが完成し、世界初と成る3.0GB DVD+RW記録形ドライブDRX-101の商品化に向けた追い込みに入っていた。ライバルフォーマットで有るDVD-RAMは既に2.6GB版で市場参入していたが、記録容量の大きさで巻き返す意気込みであった。ところが、その年の夏頃であったと思うが、突然に4.7GB版DVD+RWフォーマットが浮上した。その為、商品レベルまで完成した3.0GB版DVD+RWドライブDRX-101はその年のCOMDEXへの出展を花道に市場に出る事無くお蔵入りと成った。
展示説明員として迷宮写真家もBooth(写真1)に立った。当時MSのTopだったBill Gates氏が顔を出したり、ミュージシャンのHerbie
Hancock氏が質問をして来るなど興味を示していたのが印象に残る。
4.7GB DVD+RW関連の活動が本格化するまで半年ほど間が空く。
[EC/SC会議デビュー(2000/05)]
時は2000年5月、DVD+RW Allianceの旧財閥系総合化学会社のホスティングによるExecutive/Steering Committee(EC/SC)会議が東京で開催された。このEC/SC会議とは、DVD+RW 6C各社のExecutive代表者、即ち6社の役員クラス、とSteering代表者、活動の実行責任者クラス、が一堂に会する最高議決機関だ。プロモーション活動の担当者として迷宮写真家のEC/SC会議デビューだった。
EC/SC会議は会議終了後にホスト会社がExcursion Tourでもてなすのが慣例と成っていた。20人程ではとバスを借切り、歌舞伎座での一幕鑑賞や夜のお台場を巡った。写真2は歌舞伎座の前に集まったExecutive/Steering代表者の一部だが、ホスト会社のExecutive代表者は現在同社の総帥にまで上った人物。
[PC Expo Press
Event(2000/06)]
IT関連専門の展示会がまだ元気だったこの頃(2000年6月)、New Yorkで開催されたPC
ExpoでDVD+RW Allianceとして記者会見(Press
Event)を開催した。これが初めてのPress Eventで、Promotion担当であった迷宮写真家は、社を代表してDVD+RW Alliance6社の代表と共に壇上に立ちPressデビューを飾った。
写真3はIT関連の記者から受けた質問に答えているところだが、このとき受けた質問が何だったか正確には覚えていない。ステージ上にPCと共に何台かのDVDプレーヤがある事から、再生互換性に関する事であったように思い出される。
[第1回ISV Seminar(2000/08)]
DVD+R/RWの特徴は、CE(ビデオレコーダ/プレーヤ)とIT(PC等)両分野における相互互換性だ。即ち、PC等で作成したビデオ ディスクがDVDプレーヤやレコーダで再生出来るのは当然の事として、相互に編集や書換え/追記等も出来る様にする事だ。その為にはソフトウェアを作るIndependent
Software Vender(ISV)にDVD-Video Formatと再生互換性のあるDVD+R/RW用Real Time Video Recording Formatで有るDVD+VRの技術を導入する必要があった。その為のイベントを2000年8月にサンフランシスコ市内で開催した。今ではISV業界も再編が進み会社数が集約されてしまったが、このときは日・米・欧から多数のISVが参加した。
[COMDEX 2000
Press Event(2000/11)]
 迷宮写真家にとっては2回目のCOMDEXで有るが、DVD+RW Allianceとしては初めての参加であった。COMDEX会場のLas Vegas Convention Center(LVCC)ではなくCaesars
PalaceのConference Centerに会場を設けてPress
Eventを開催した。会場内には、CEとITの相互互換性をアピールする目的で、家庭のパソコン
ルームとリビング ルームのイメージ セットを設け、DVD+RW Allianceのメンバーが実際の使い方を演じて見せた。写真5はリビング
ルームのイメージ セットとそこでの演技の模様である。会場の入口にはLas Vegasらしく写真6のように派手な電飾が施された。20世紀最後を飾るイベントであった。
[EC/SC会議Noordwijk(2001/03)]
迷宮写真家が参加した21世紀初の活動は、DVD+RW Allianceメンバーで有るオランダの大手電子機器メーカのホスティングによりオランダのリンデン市近郊のノードヴァイクで開催されたEC/SC会議だ。ノードヴァイクはオランダ王室オラニエ家縁のリゾート地である。会議が開催された会場はHotel van Oranje Golden Tulip Beach Hotelだった。
Excursion Tourは近郊のリンデン市内観光だった。DVD+R/RWフォーマット作成のリーダーシップを取ったホスト会社のエンジニアP氏の出たリンデン大学を訪ねた。ここは歴史のある大学で、卒業生が壁に署名を残す面白い部屋があった。そこには、件のP氏の署名の他、南アフリカの元大統領ネルソン マンデラ氏の署名もあった。しかし、マンデラ氏の履歴を調べても彼がリンデン大学を卒業したとの記述は見つからない。

[CeBIT 2001
Press Event(2001/03)]
EC/SC会議が開催されたノードヴァイクからスキポール経由にてドイツのハノーバーに直接移動した。Press
Eventだが、今回はDVD+RW Allianceメンバー各社が自社の製品を展示する。その為、迷宮写真家も自社のDVD+R/RW製品展示用に機材を抱えて行った。写真8はその様子で有るが、展示スタンドの間の奥に見えるテーブルは記者・アナリスト向けの食事用だ。欧米ではこの様なイベントで食事を提供するのは慣習だ。ドイツらしく、ワインとビールも用意されていた。
[第2回ISV Seminar (2001/05)]
2回目も引き続き場所はサンフランシスコだ。Seminarは盛況そのもので、既に市場にはパッケージ製品も出ており、活発な質疑も行われた。
Seminarの終わった夕方から、市内や金門橋などを見に行った。写真8はそのときの記念撮影で、右端の女性は案内役を買って出てくれた西海岸ベースの大手ISVに勤める日本人スタッフ。その左側が迷宮写真家だ。この後、夕食に案内してくれた創作中華のカニ料理が印象に残る美味しさだった。
[PC Expo Press
Event(2001/06)]
New YorkのPC Expoはこれが2回目だが、光ディスク以前に担当していた屋外用大型映 像表示装置時代に、Times Squareに一台設置されていた事も有り、Central Park以南のManhattanはある程度勝手知った地域だった。迷宮写真家がオーディオ フリークであることは「デジタル オーディオは光ディスクから始まった。」で気付かれていると思うが、実はJazzには目が無い。以前にもNew YorkのManhattanを訪れる都度、Iridium、Blue Note、Fat Tuesdayにライブを聞きに行っている。JFK着が18時少し前で、宿がBird Landまで歩いて10分ほどのTime Squareと好条件であった為、DVD+RW Allianceメンバーで有る楽器やバイクもやって居る音響メーカの仲間を誘い、到着当日21時からのHank Jonesを事前に国際電話で予約しておいた。
当日、JFKへの到着が1時間ほど遅れてしまい、万事休すではあったが、何とか開演にぎりぎり間に合い、満喫したのが写真10のステージだ。当日は、ゲストでサックス奏者のJoe Lovanoも出演し、見事な演奏だった。
[EC/SC会議鎌倉(2001/06)]
DVD+RW
Allianceメンバーでデジカメもやって居る日本のOA機器メーカのホスティングにより、不倫を題材に一世を風靡したテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」(金妻)の舞台ともなった、鎌倉プリンスホテルで行われた。斜面を斜めに登るエレベータ(?)が印象的な建築だ。
Excursion Tourはバスを貸しきっての鎌倉市内観光だった。写真11はお決まりの鎌倉大仏の前での記念撮影。生憎の雨だったが、それが幸いして人出が少なくゆっくりと堪能で来た。
[EC/SC会議Berlin(2001/08)]
いよいよ我社がホスティングする番と成り開催地を検討したが、往々にして“世界の~”と形容される手前安易に国内開催は出来ない。そこで、案を巡らし、ドイツ
ベルリンの再開発地域で有るポツダマー プラッツに完成し“ベルリンにおける近代建築の最高峰の一つ”と称えられる複合センターにある欧州オフィスに決定した。場所はブランデンブルグ門に近く、冷戦時代には“ベルリンの壁”で分断されていた地域だ。
この頃のテレビはまだブラウン管が主流で、このセンター建設の為に多くのガラスが使われたことで世界的にブラウン管用のガラスが不足したとの噂が流れたほどだ。欧州オフィスのエレベータは床までもがシースルーのガラスだった事が印象に残る。
総ガラス張りのこのセンターには、戦前のベルリンを代表するホテル「エスプラナーデ」に残されていたカイザーザール(皇帝の間)が保存されて居る。Excursion Tourでは、このときまだ一般には公開されていないカイザーザールを含むこのセンターの特別見学コースを組んだ。写真12はそのカイザーザールでの記念の一枚。
[IFA Press Event(2001/08)]
IFAは2年毎奇数年に開催される事から、2001年はDVD+RW Allianceがフォーマット プロモーション活動を開始後初の開催であった。前項のEC/SC会議は場所と時期をIFAに合わせてもいる。
DVD+RW AllianceはIFAに初参加と言う事も有り、Press Event会場は写真13のように立ち見が出るほど盛況であった。
[COMDEX 2001
Press Event(2001/11)]
3回目のCOMDEX参加となった。この頃に成ると11月はLas Vegasと言うのが定着してきていたが、IT主体の展示会で有るにも関わらず今回はマイクロ
ソフトが出展しないと言う事態がおきていた。“寂れはじめると3年で消える”と言う展示会業界のジンクスが有り、4年後にそれが真実となる。
Press Event会場は今回もCaesars PalaceのConference Centerに設け、DVD+RW Allianceメンバー各社が自社の製品を展示した。
[EC/SC会議Las Vegas(2001/11)]
COMDEXにタイミングを合わせ、DVD+RW Allianceメンバーでフランスに本社を置く総合電子機器メーカのホスティングでEC/SC会議が開催された。Excursion Tourはディナーを兼ねたCaesars Palaceでのローマ時代を模したショーであった。ローマの戦士に案内されたローマ時代の宮殿よろしく装飾された個室でのディナーでは、ウェイターなどもローマ時代の服装で給仕し、そこに入れ替わり立ち代りマジシャンが登場して写真15のような奇術を見せてくれる。食事の後はシアターに移動し、ステージで各種マジックが演じられた。
[CES Press
Event(2002/01)]
展示会の主流がITからCEに移りつつあるため、年明け早々に再度のLas Vegas詣でをして、始めてCESに参加した。会場は何時ものCaesars Palaceで、Press Event会場を写した写真 16を見て分かる通り、COMDEXでの機材を流用した。ただし、内容はCE中心の展示会である事を意識し、CEとITの相互互換を訴求する為に、家庭のPCルームやリビングを再現しての展示が行われた。尤も、これとて2年前のCOMDEXの二番煎じでは有ったが、展示した製品の進歩もあり好評であった。
[CeBIT 2002
Press Event(2002/03)]
CeBITへの参加はDVD+RW Allianceとして慣例化して来た。この展示会が開催されるドイツのハノーバー市は都市の規模からすると巨大なイベント会場を有して居り、各種展示会などのイベントが主要産業の一つと成っている。中心部には総ガラス張りのモダンなビルも見かけるが、欧州の都市らしく歴史有る建造物も多く残っている。新市庁舎などは大変美しいゴシック建築で、市のシンボルとなっている。このときは、市の中心から北西方向にある“ヘレンハウゼン王宮庭園”を訪れた。初期バロック様式の幾何学模様の美しい広大な庭園だ。
[EC/SC会議Austin(2002/04)]
DVD+RW Allianceメンバーで、創業以来直販でPC業界を席巻して来た最大手の一つであるPCメーカのホスティングによりテキサス州の州都で有るオースチンで開催された。迷宮写真家は「初めての海外渡航(その2)」で書いたように、テキサスに住んでいたことがある。その当時、オースチンを訪れた事があったが、40年経っても町の中心街に大きな変化がある様には感じられない長閑な場所だ。
Excursion Tourはボートを貸切ってLake Austin川のディナー クルーズだった。このクルーズの主目的は、夕方暗くなるとえさを求めて一斉に飛ぶ何万匹と言う蝙蝠の大群が空にたなびく帯のようになる珍しい光景を見ることだ。先日、同様の光景を求めてメキシコに取材したテレビ番組があったが、生で見たためかAustinの方が規模も大きい様に感じられた。写真17はボート談笑する会議参加者達。
[EC/SC会議東京(2002/07)]
EC/SC会議のホスティングも一巡し、再度DVD+RW Allianceメンバーで有る旧財閥系総合化学会社のホスティングにより東京で開催された。会議は丸の内本社の役員用特別会議室で行われ、終了後のExcursion Tourは風流な屋形船を貸切っての東京湾クルーズだった。船内は冷房も効き、欧米からの出席者も含め皆でカラオケを楽しんだ。前回のAustinに引き続き2回目の貸切ボート ツアーであった。
[3rd AP Seminar東京(2002/07)]
2001年3月の開始以来、早3回目を迎えた。日本国内向けフォーマット
プロモーションが主目的のイベントで有るためプレゼンテーションは日本語で行われるが、台湾や香港からも参加が有り、初回から英・日双方向の同時通訳サービスを設けて行われている。
写真20はセミナー会場の様子で有るが、広い会場がほぼ満席と言う盛況ぶりで、DVD+R/RWフォーマットへの業界の関心の高さが伺える。
[COMDEX 2002 Booth(2002/11)]
COMDEXへの参加はこれで4回目と成るが、DVD+RW Allianceとして初のShow FloorでのBooth出展を行った。メンバー各社が自社のDVD+R/RW製品を展示するスタンドをBooth内に設け、DVD+R/RWフォーマットの優位性を訴求した。写真21は世界初のコンボドライブを訴求するS社のスタンド。
[EC/SC会議Las Vegas(2002/11)]
11月のCOMDEXに合わせてEC/SC会議はLas
Vegasでの開催が定着したかの感は有るが、今回はアメリカの名門ITメーカのホスティングだ。恒例のExcursion Tourはマダム タッソーの蝋人形館を貸切ってのディナーと館内自由見学だった。20名足らずで貸切のため、館内にはほとんど人気が無い状態で、ノビノビ気ままな見学だった。写真22は偶然居合わせたハリウッド女優のジョディー
フォスターと迷宮写真家のツー ショットだ。大女優なのに写真撮影に気さくに応じてくれた。ジョディーの額のテカリが少々気に成るかな。
[CES Press
Event(2003/01)]
松の内が明けるとCES参加のためにこの年もLas Vegas詣でだった。前年までのCESにおけるPress EventはCES会場のLas
Vegas Convention Center(LVCC)とは別にホテルに会場を借りての開催で有ったが、この時はLVCCのConference Roomで行った。相変わらずの盛況だ。
[EC/SC会議東京(2003/02)]
東京での開催だが、ホスティングはDVD+RW Allianceメンバーで楽器やバイクもやって居る浜松の音響メーカだ。開催地は東京と言っても少々トレンディーなお台場のホテル。会議は2日間で、自宅から通えない場所ではなかったが、あえてホテルに一泊した。初日の夜にホテルのレストランでディナーが有ったのは覚えているのだが、このときのExcursion Tourは何故か印象に残っていない。
[CeBIT 2003
Press Event/Booth(2003/03)]
3回目のCeBIT参加に成るが、COMDEX 2002に引き続き2回目のBooth出展を行った。また、マイクロソフトによるDVD+R/RWフォーマット サポートが発表された直後であった為、Press Eventも合わせて行われた。Press Eventでは写真25のように製品展示も行った。Boothには、客寄せを目的にLas Vegasからロビン ウィリアムズのそっくりさんで有るRockin’ RobinことMichael Claytonを連れてきて活躍してもらった。写真26はRockin’
Robinと迷宮写真家のツー ショット。
[4th AP
Seminar京都(2003/03)]
初回から3回続けて東京で開催した事も有り、4回目は京都での開催と成った。実は、ライバルフォーマットの本拠地で有る大阪開催も検討されたが、大人の態度を取っての京都でもある。満開の桜を目論んでの日程で有ったが、残念ながら一週間早かった。
[WinHEC 2003
New Orleans(2003/05)]
マイクロソフトによるDVD+R/RWフォーマット支持表明を受け、Windows Hardware Engineering Conference(WinHEC)にBooth出展した。場所はDeep Southで、Jazzで有名なNew Orleansだ。Booth出展するのでDVD+RW Allianceのスタッフは全員無料で参加できるものと思っていたら、何とBoothあたり無料は2名まででUS$1,000ほどの参加費を払わされた。お土産としてWinHECロゴの付いたデイパックやキャップ、Windows関連のCD-ROMを一杯もらったが、とても元が取れるものでは無い。
市内の観光名所French Quarterでは通りでJazzの生演奏が行われ、有名なお祭りのマルディグラをテーマにした独特な雰囲気の店などもあった。
ハリケーン
カトリーナにより壊滅的は被害を受ける2年前であった。
[EC/SC会議Amsterdam(2003/06)]
DVD+RW Allianceメンバーで有るオランダの大手電子機器メーカの2回目のホスティングによりAmsterdamで開催された。Amsterdamは同心円と放射状に運河が無数に市内を流れ、車での移動は渋滞が多くあまりスムーズでは無い。観光客にはこの運河を巡るボート
ツアーが結構人気となっている。迷宮写真かも過去何回かのAmsterdam訪問で運河ツアーを経験している。
今回、ホストによるExcursion Tourはこの運河ツアーで有ったが、結構豪華な貸切ボートによる食事をしながらの優雅なツアーだった。行程はおおよそ3時間ほどに及ぶ物で、主要な名所は勿論のこと通常のツアーでは行かないような目ずらし場所も行くことが出来、印象深い物であった。
[IFA
Booth(2003/08)]
いよいよIFAもBooth出展となった。IFAの会期中合わせて10日間ほどBerlinに滞在する事になり、そのおかげでBerlin市内を2年ぶりに堪能する事ができた。Berlinの旧西側の中心街の主だったビルの地下には東西冷戦時代に作られた核シェルターが有り、普段は駐車場として利用されて居るものが多くある。その内の一つに見学コースが有り、見る機会があった。収容できる人数に制限があるために定員になり次第入口を閉める必要が有るそうで、無理やり閉めても人を挟み込まない工夫がされた分厚いコンクリートのドアを今でも思いだす。
このときのBoothでは、ブルー バックのコーナーが設けられ、来場者を色々な背景にスーパーインポーズで取り込みDVD+Rに焼いて配布した。
[SC会議横浜(2003/10)]
Executiveを省いたSteeringのみによる会議がDVD+RW Allianceメンバーでデジカメもやって居る日本のOA機器メーカのホスティングで、横浜の港みらい地区で開催された。この様な会議もEC/SC会議の合間に何回か開催された。Excursion Tourと言う程ではないが、工夫が凝らされたレストランでのディナーがホストにより催され、この時はカントリー アンド ウエスタンのライブを聞きながら料理と酒を堪能した。
[Replication
Expo上海Booth(2003/11)]
DVD+RW Allianceも中国進出と成った第一歩の記念すべきEventがこのReplication Expoだった。迷宮写真家の会社が幹事役を勤めてBooth出店を行ったが、上海に会社の現地拠点があり、サポートが得られたのは幸いだった。
Agentに日本の二大広告代理店の一社HH堂の現地事務所を使ったが、看板のスペルミスなどの訂正が大変だった。Event開催5日前に現地入りしてようやく何とか成る状況。経費をケチって現地Agentなどを使っていたらどう成って居たことか。上海は今や有数の近代都市だが、あちらこちらにギャップが残っている。
日曜日、少々早めの昼食を取りに豫園に有る有名な小籠包のレストラン「南国饅頭店」に行った。人気店のため普段は現地の人達で長蛇の列と聞いていたが、時間が早めのためかすんなりとテーブルに案内された。テーブルの近くにはテレビ取材の一団が居り、隣のテーブルを見ると見覚えの有る顔が有った。タレントの“KABA.ちゃん”(写真33)だった。日本の正月番組の取材であった。
[CES Press Event/Booth(2004/01)]

“KABA.ちゃん”の上海取材正月番組を見た翌日、まだ松の内に恒例となったLas
Vegasに向かった。従来からのPress Eventに加え、CESでは初めてと成るBooth出展だ。Press Eventは常設ホールのConvention Centerで行ったが、Boothは参加申込みが遅かった為にNorth Hall正面駐車場に特設されたエアー ドームのSilver Pavilionでの出展だった。写真35はBoothに展示したDVD+R/RW Discを紹介する迷宮写真だ。
[第1回上海Seminar(2004/03)]
現地の政府系業界団体をパートナーとして関係者向けのSeminarを開催した。郷に入っては郷に従えというが、中国では定刻にこの様なEventは始まらない。そもそも、人の家に招かれたときも時間通りに行くのは失礼なのだそうだ。Seminarはほぼ30分遅れで、何事も無かった様に始まり、その分遅れて終わった。英語から中国語への同時通訳を介してのSeminarだが、果たして正しい内容が伝わって居るのか、一抹の不安が有った。と言うのも、迷宮写真家は中国の開放政策が始まる以前の時代に中国からの技術研修生にビデオの講習をしたことがある。この時は、現地から同行して来た通訳が日本語と中国語双方向の通訳をしてくれたが、ビデオ
フォーマットの話をしているときに研修生が怪訝な顔をするので確認すると、ビデオ トラックを車の“トラック”と通訳していたからだ。この時はその様な事は無かったと信じたい。
このときも“豫園”を訪れた。南国饅頭店は長蛇の列で、諦めた。
[CeBIT 2004
Booth(2004/03)]
Booth運営も手馴れてきた事も有り、二階建ての巨大なBoothに発展した。二階部分は事務所と応接が設置され、記者の取材応対などに利用された。
ドイツと言えばビールである。巨大な会場内には独立したこれまた巨大なビアホールの“ミュンヘン ハーレ”がEvent期間中毎日開店している。CeBIT閉会後そのままホテルに帰るのもさびしいもので、何と無く誘い合わせて“ミュンヘン
ハーレ”に足が向く。中に入ると巨大なホール全体が一体となって盛り上がっている。詳しくは、ハマのビール瓶の部屋の「第1回ハマのビール瓶」で詳しく紹介されて居る。
[EC/SC会議Culver City(2004/04)]
我社に二回目のホスティングが回って来た。YAZAWAにもテレビで“世界の~”と形容される手前安易な開催地は選べない。そこで、グループ企業のひとつで有る映画会社のCulver City撮影所に場所を確保した。これでDVD+RW AllianceもいよいよHollywood進出だ。
EC/SC会議その物は撮影所正面に位置するこの映画会社本社ビル内の“Atrium”で行 った。Excursion Tourは当然Studio Tourだ。この撮影所は本当に稼動している為、ユニバーサル スタジオの様な観光客向け常設見学コースは無い。実際に編集作業をしているサウンドステージやDVD-VideoのAuthoring Studioなどを見ることが出来た。締め括りは、スタジオ内にある歴史的なレストラン“Rita Hayworth Dining Room”でのディナーだった。このレストランは、撮影所で撮影された映画に出演した歴代のHollywood Starたちが食事をしたところで、内装も昔のまま。“ハンフリー ボガードが何時も座ったテーブル”などが残されている。また、このディナーをコーディネートしてくれたプロデュサーはこの年のアカデミー賞でのディナーを担当したプロ中のプロだった。今では特別なEventでしかこのレストランは使用されない。
[5th AP Seminar 東京(2004/05)]
第5回目は再び東京での開催だった。このSeminarの対象は業界関係者で有るが、雑誌や新聞などのマスメディアの取材や業界アナリストや評論家も出席する事も有り、アライアンス
メンバーによる製品や技術展示コーナーを設けるようになった。
[1st台北Seminar(2004/06)]
日本で開催するAP Seminarには台湾を初め広くアジア圏からの参加が有る。光ディスク業界での台湾の存在が大きくなったことも有り、台湾の工業技術院(ITRI)をパートナーとして台北Seminarを開催する事と成り第1回を実施した。
Seminarの後はお決まりのReceptionを開き大いに親睦を深めた。
[EC/SC会議Paris(2004/10)]
DVD+RW Allianceメンバーでフランスに本社を置く総合電子機器メーカ二回目のホスティングで開催されたEC/SC会議はお膝元のParisだ。シャンゼリゼ通りの凱旋門近くを横手に入ったところにあるHotel Californiaで会議は行われた。何故ParisでHotel Californiaなのかは分からないが、歴史を感じさせる建物で、客室への廊下の壁は絵画で埋め尽くされていたのが印象に残る。
Excursion Tourは“ルーブル美術館30分ツアー”だったが、ホテルから美術館へのバスが有名な“パリの渋滞”に引っかかり到着が15分遅れたため、美術館閉館までの15分ツアーと成った。本当に駆け足で美術館内を移動し、ミロのビーナス・サモトラケのニケ・聖母子等名だたる作品をポイントで回り、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザに閉館間際にたどり着いた。基本的にルーブル美術館内での写真やビデオの撮影に規制は無いが、最近混雑を理由にモナ・リザの前だけ規制されるように成ったと聞く。この当時その様な規制はまだ無く、写真42は迷宮写真家とモナ・リザの貴重なツー
ショット。
[World PC Expo
2004東京(2004/10)]
日本国内の展示会へのBooth出展はこれが2回目だった。初回のWorld PC Expo 2003の時、迷宮写真家は社の別のMissionでGenevaに出張して参加出来なかった。欧米のCESやCeBITでのBoothは製品を展示して見せる物で有ったが、国内では初回から“アライアンス劇場”と称してステージとプレゼンテーションで抜群の集客を誇っていた。それが伝統と成り継続して来た。
この年のステージは、ミュージカル“世界は愛を求めてる”のテーマ曲を倍のアップテンポで歌い踊るダンサーチームによる寸劇となった。リピーターのカメラ小僧まで表れる人気であった。
[第2回上海Seminar(2004/11)]
スピードが勝負と言う事もあり、3月に引き続き、早くも第2回目の上海セミナーを行った。分かり易いプレゼンを行う為に、World PC Expoで行ったライブでのDVD+R 16xの記録デモを取り入れた。プレゼンの頭で記録をスタートさせ、その画像を背景に説明を行うというもので、迷宮写真家と相方での掛け合いである。7分ほどで4.7GBのDVD+Rが書き上がるこのプレゼンテーションは、実にリアリティーが有り分かり易い物だったと今でも自負している。
[CES Press
Event (2005/01)]
欧米地域への普及が有る程度進み、実ビジネスでの更なる普及段階に移行した事を受け、CESにおける活動は再びPress Eventに戻った。この年はCESの初日にPress Eventが設定された為に、正月三が日明けの4日にLas Vegas入りだ。
迷宮写真家はギャンブラーではないので、Las VegasでのOffの楽しみはShowとDinnerだ。Las Vegasには有名なShowが幾つも有るが、CESなどの大きな展示会開催期間中は休みになる事が多く、今までなかなか観る機会が無かった。この時は、会社の定宿で有るBally’sの伝説的なレビューであるJubileeの券を同行した仲間が入手してくれた。客席最前列ステージの被り付きで踊り子さんの衣装の羽飾りが飛んでくる最高の席で堪能した。
Las Vegasに来た時には必ず一回はDinnerに行くプライムリブの人気店Lawry’sでの一こまが写真45だ。この分厚いRawのプライムリブの一切れは格別だ。赤坂に東京店が有り行ったことが有るが、そのときはBSEでアメリカン
ビーフ輸入禁止のときで代わりにOGビーフが使われていた。本場の味とは少々違っていたので、輸入が再開された今再度行って見ようと思う。
[CeBIT 2005
Press Event(2005/03)]
CeBITもこの年から再びPress Eventに戻った。今までもこの様なPress Eventで迷宮写真家はプレゼンテーションを行っているのだが、たまには仕事をしている姿をお目に掛けよう。写真46は迷宮写真家が取材に集まってくれた記者団を前にプレゼンテーションを行っているところだ。この時は開発中のDVD+R DL8倍速規格の進捗と概要が中心だった。
[EC/SC会議Austin(2005/04)]
DVD+RW Allianceメンバーで、創業以来直販でPC業界を席巻して来た最大手の一つであるPCメーカの2回目のホスティングでの開催だ。開催地はお決まりのテキサス州の州都で有るオースチン。
Excursion Tourは軍用水陸両用車を改造した“Duck”(写真47)を貸切ってのオースチン市内とLake Austin川のShort Cruiseだ。まずは陸上からの出発なので、乗車時に黄色いアヒルくちばし形の笛を全員がもらい、市内観光中通りかかる通行人に挨拶代わりに皆で“ガ~
ガ~”と吹きまくった。
[2nd台北Seminar(2005/06)]
フォーマット
プロモーション活動の中心はアジア圏に移り、2回目の台北セミナーが開催された。
台湾は周囲を海に囲まれている事も有り、海産物が新鮮で美味しい。同行仲間に台湾通が居り、行き着けの見掛けは汚いが安くて美味しい安全な店に連れて行ってくれた。そこは、店の前にその日仕入れられた海鮮食材が陳列されて居り、好みの食材を選び料理方法を指定して料理してもらうように成っていた。ビールなどの飲み物も客が勝手に冷蔵庫から出して飲み、後で本数を数えて清算するといういたって気さくなところだ。この後も訪問の都度何回か行って楽しんだのだが、昨年(2007年)秋頃に行って見ると店が無く成っていた。美味しかっただけに実に残念だ。
[6th AP Seminar東京(2005/07)]
AP Seminarも6回目を迎えた。迷宮写真家はこの回の“オープニング
スピーチ”を担当した。写真49は受付の風景で有るが、同時通訳用のレシーバなど国際会議の雰囲気が窺えると思うが如何だろうか。
[World PC Expo
2005東京(2005/10)]
DVD+RW Allianceとしては3回目のWorld PC ExpoにおけるBooth出展となった。開催の主管がDVD+RW Allianceメンバーでデジカメもやって居る日本のOA機器メーカから我社に代わったが、基本コンセプトで有る“アライアンス劇場”は健在だ。テーマは「二層DVD+Rの時代がやってきた!」で、大道芸人の“バーバラ村田”と“ホーリー”両パーフォーマーのステージ
ショーでBoothを盛り上げた。
DVD+R/RWの素晴らしさを来場者に直に体験してもらう目的で、DVD+R/RW製品の抽選会を毎ステージ行い、最終日にはDVDレコーダの“スゴ録”までプレゼントされた。このBoothの様子はDVD+RWアライアンスのWebsiteの“DVDはプラスが良いでSHOW”(動画)でご覧いただける。
[OVC Expo Briefing武漢(2005/11)]
中国の武漢は“Optics Valley”と呼ばれ、中国政府がレーザと光ストレージの研究拠点として武漢大学を中心に推進している地域だ。第4回OVC(Optics Valley of China) Expoの次世代光Discに関するInternational ForumにDVD+RW Allianceが招待され迷宮写真家がプレゼンテーションを行った。写真51はForum参加者の前でプレゼンをする迷宮写真家だ。
武漢は大都市だが、この当時は東京から直行便が飛んでいなかった。その為、北京経由で中国の国内線に乗り換えての往復だったが、復路でひどい目に遭った。中国の国内線が時間通り飛ばないのは当たり前のようで、武漢から北京も例外ではなく、遅れに遅れたため北京からの乗り継ぎ便に間に合わなかった。乗り継ぎ便のカウンターには人影は無く、航空会社の事務所を探し当て何とか成田行きの最終便に乗れた。旅なれた迷宮写真家であったから何とか成ったようなものだ。
[1st香港Seminar(2005/11)]
いよいよアジア圏における3箇所目の拠点として香港でSeminarを開催した。香港を拠点とするDisc Mediaメーカの多大なる協力により香港の政府系業界団体をパートナーに開催する事ができた。ご存知のように、アジア圏には“偽物”のDVD+R/RW Discなどが多く出回って居り、これらに対する牽制を目的に香港税関から取締りを担当する部署のトップによるプレゼンテーションも交えての開催であった。
Seminar終了後、中華料理を楽しみ、アライアンス
チームは連れ立ってヴィクトリア ピークで百万ドルの夜景などを堪能した。
[東莞Seminar(2005/11)]
1st香港Seminarの翌日、そのまま香港から車2台に分乗して陸路で中国本土とのBorderを渡って珠海デルタ地域の東莞にアライアンス一団は移動した。ここで言う“Border”は国境では無い。一国二制度を取る中国の香港と本土を分ける境界のことだ。この陸路での移動に関しては「迷宮写真家の部屋
その1 世界の交通事情『東莞(トンガン)への道』」に詳しく書いてあるので、興味のある方は参照されたい。
東莞Seminarは第3回上海Seminarのような物で、同じ現地パートナーで場所を東莞に移しての開催だ。Seminarでプレゼンテーションと共にデモを行う為の機材を現地パートナー宛に大手のCourier Serviceで香港への出発前に日本から送り出しておいたのだが、会場に届いていなかった。パートナーの担当者に確認してもどうもはっきりしない。根掘り葉掘り問い正すと、税金をケチる為に通関前の段階でCourier Serviceから引き取ってしまい通関できずに引っかかっていることがわかった。結局この機材は通関できず使うことが出来なかったが、バックアップとして香港経由でハンドキャリーした物があったので事無を得た。
[1st India
Seminar(2005/12)]
2005年の最後を飾る圧巻はついに実現したIndia Seminarの第1回だ。このEventは構想から実現までに約一年を要し、夏の真っ盛りに現地に事前調査にまで赴いた。実現には今や世界最大となったインドの光Discメーカの日本支社長を勤めるMickの部屋の住人の絶大なるサポートがあったことは言うまでも無い。感謝の一言だ。
初回開催は首都のデリーで、インドのソフトウェア業界を牛耳るインド最大の業界団体をパートナーに開催した。セミナーは盛況で、来場者の中にはターバンを巻いた人も居り実にインドらしい雰囲気であった。また、Seminarとは別に、開催に協力してくれたインドの光Discメーカのエンジニア向けに技術講習会も開催した。
はるばるインドまで来てインドを知らずに帰る手は無いと言う事で、世界遺産のタジ マハルを見るためにインドの光Discメーカがデリーからアグラまで車を仕立ててくれた。アグラまでの道はローラーコースターのようにスリリングであった。その詳細は「迷宮写真家の部屋
その1 世界の交通事情『アグラへの道』」に詳しく書いてある。写真54はタジ マハルでのDVD+RWアライアンス チームだが、既に何人かはインドの魔力に取り付かれてしまったようだ。
[Board会議Miami(2006/02)]
DVD+RW Allianceメンバーでデジカメもやって居る日本のOA機器メーカ三度目のホスティングにより、同社としては初の海外での開催で、場所はMiamiだった。実は、場所選定の相談を受けた迷宮写真家が提案して決まったのであった。Miamiと言うと夏のイメージだが、実は冬の避寒地として有名なリゾート地だ。その為、このBoard会議はホテルの確保に苦労したと聞いた。
迷宮写真家は過去に数回仕事でMiamiを訪れているが、初めて訪問したのも冬場の1月だったと記憶している。そのときも結構暑く、のどが乾いたのでビーチのバーで初めて“フローズン
マルガリータ”を飲み感激した。また、Miami近郊の海でした獲れないStone
Crabが格別な美味で、10月~翌5月のシーズンしか食べる事ができない貴重品だ。当然このときもSouth
Miami Beachにある有名なJoe's Stone Crab Restaurantに皆で繰り出した。
写真55は会議の休憩中にテラスでの一こまだ。背景のビーチとえもいわれぬ海の色が魅力的だ。
[7th AP
Seminar東京(2006/06)]
7回目のAP Seminarは、このWebsiteのリニューアル オープンを披露した記念すべき回であった。Websiteのリニューアルは、双子美人姉妹の姉、A女史の貢献により実現した物で、その功績を称えプレゼンテーションとWebsiteのお披露目をしてもらった。写真56がリニューアル
オープンしたWebsiteを披露するA女史だ。これは彼女のステージデビューでもあった。
前年(2005年)のWorld PC
ExpoのDVD+RW Alliance Boothに妹さんが来てくれ、姉妹揃った写真があるが、そっくりで見分けが付かない程だ。
[3rd台北Seminar(2006/07)]
台北Seminarも3回目を数える事と成った。
この回の主目的は、2002年から日本で開催してきた互換性改善活動で有るDCCG-RG(DVD+RW Compatibility & Convergence Group - Recorder
Group)に台湾の中小メーカも参加できる様、台湾ローカル活動の立ち上げにあった。その為にSeminarには台湾の業界紙や専門誌の記者も招き記事として取り上げてもらった。成果はこの10ヵ月後の2007年4月に実った。
[Board会議Eindhoven(2006/09)]
DVD+RW Allianceメンバーであるオランダの大手電子機器メーカの会議室で開催された。主な議題は、ネットワークでのコンテンツ ダウンロードに対応したフォーマットをどうするかであったと記憶している。写真58はその会議での白熱した議論の様子を写した貴重な一枚だ。
[2nd香港Seminar(2006/11)]
香港Seminarは初回に引き続き11月の開催であった。この時期の開催は他のEventとの都合も有るが、やはり上海蟹のシーズンを選んでいることに変わりは無い。
写真59はSeminar関係者の記念写真で有るが、Seminar終了後関係者で連れ立って海鮮中華を堪能しにレイユームンに皆で繰り出した。
[Board会議長崎出島(2006/11)]
DVD+RWフォーマット作成活動が始まったのは1996年の初め頃で、このBoard会議は10周年記念の意味を込めてDVD+RW Allianceメンバーであるオランダの大手電子機器メーカが長崎の出島で開催した。何故に長崎の出島かに関しては迷宮写真家の部屋の「エスニック長崎」に詳しく有るのでそちらを見ていただきたい。
[2nd India
Seminar(2007/05)]
インドを初めて訪れた人の感想は両極端だ。方や「二度と来たく無い」と「何度でも来たい」だそうだ。どうも迷宮写真家は後者のようで、2回目のインドSeminarを実現してしまった。
二回目の開催地をインド商業の中心地ムンバイ(ボンベイ)と定めた。現地でのサポートは初回と同じく世界最大のインドの光Discメーカだが、社員の離職が頻繁なのはインドの国民性のようで、初回にサポートしてくれた現地メンバーは誰もいなかった。その為、一から教えなおしと言う事とコミュニケーションの問題から当初2月開催が土壇場で日程を変更せざるを得なくなった。その為、準備期間は初回よりも長くなってしまった。
会場は五つ星ホテルのBallroomを使うのはセキュリティー上の理由から当然の事で有るが、過日(2008/12)発生したムンバイ(ボンベイ)の無差別テロにはぞっとした。テロリストに占拠されたタジ マハル
ホテルもトライデント ホテルも会場の候補地として訪れた事のあるところだったからだ。街は日中喧騒に包まれているが決して治安に不安を感じるようなところではなかった。日本人は“水と安全はタダ”と思っている人が未だに多いようだが、“自分の身は自分で守る”を心がけようと内心誓った迷宮写真家である。
駆け足でDVD+R/RWフォーマット誕生の歴史を写真と共に眺めてきたが、如何であったろうか。迷宮写真家も我ながら良くこれだけあちらこちらに出向いてプロモーション活動をしたものだと感心した。
では、何れまた何処かでお目にかかる機会までお別れだ。去らば。
迷宮写真家
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