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翼あるもの

東京タワーが今年で50周年を迎える。子供のときに親に連れられていった時のあの感動は今でも残っている。東京生まれの私はその展望台から一望できる景色の中に、自分の家を一生懸命に探したものだ。めったに贅沢をさせない親が珍しく有料の望遠鏡を覗かしてくれたことや、蝋人形館の恐怖を忘れられない。それでも一番上の展望台(東京タワーには展望台が上下に二つ有り、下の展望台からさらに上の展望台に上るには料金が追加されるのだ)やお土産(当時東京タワーのプラモデルがほしかった(^^;は、お預けだったけれど。
今では私のオフィスのほうが東京タワーの下の展望台よりも高い。東京タワー建設計画立案時も、その後建設される高層ビルの計画はわかっていたはずだ。なぜ、東京タワーをあそこ(芝公園に近い一等地にある)に立てたのだろう。いずれ高層ビルに埋もれてしまうことはわかっていたことであろうし、下の展望台の高さはそれほど珍しいものではなくなってしまうこともわかっていたはずだ。TVやラジオの電波を届かせるために高い塔が必要であれば、関東平野周辺の山の上に立てたほうが良いだろう。山の頂上に建物を建設することは、山の上に城を建設する技術を有する日本の建設技術をしてみれば可能なことであったのではないか。そもそもTVやラジオのアンテナとしてあの形は最適なのだろうか?もっとスリムな形(極端に言えば、一本の棒みたいなもの)でいいんじゃないか?
多くの反対意見や非難が建設計画立案時点にあったと思う。100人中100人が賛成したのではないだろう。それでも、彼らは東京のど真ん中に東京タワーを建築した。何故だろう?
私の推測では、あの場所に、あの形で立てたいという強い思いがあったのだと思う。パリのエッフェル塔のようなランドマークを東京のど真ん中に建てたいという強い思い。理屈はどうあれ、技術的根拠も関係なく、あそこにあれを建てて、当時の日本人に元気を与えたかったんじゃないか?そのように思えてしかたない。

「これは売れないだろう。 パソコンのデータ受け渡しには、容量としてはCD-R/RWで十分だし、CD世代のように個人で購入したCD-Audioをコピーするようなことは、コピープロテクションがきついDVD-Videoでは無理だ。何に使うんだ? キラーアプリがないよね。」
私が研究所で開発したDVD+RWドライブとメディアを製品化事業部の開発メンバーに見せた時の、彼らの正直な感想であった。当時CD-R/RWの高速化ドライブの製品化に注力していた彼らには、CDの次の世代であるDVDに対して具体的なイメージをもてなかったのだ。この疑問に対して私は、「CDからDVDへの時代はすぐにやってくる。音から映像に変わるのだ。CDと同じようにDVDの記録需要があるし、CD-R/RWの反省を踏まえてROMコンパチビリティを高めれば、ユーザーにとって大きなメリットがあるはずだ。」と説明をしていた。しかし、当時は明らかにCD-R/RWよりもドライブのコストは高かったし、自分達の扱うファイルのサイズは、CD-R/RWの記録容量で十分まかなえるものであった。ネットワークの高速化や半導体メモリーの大容量化の話もあり、彼らを十分納得させることは出来なかった。DVD+RW/Rのフォーマットを検討する際にも、同じ意見が周囲にあったことは事実だ。
ほとんどのPCにDVDドライブが搭載されていることや、メディアの販売枚数を見れば、我々の考えは間違っていなかったことは、もう、誰もが認めるであろう。市場は更なる記録容量増大を要求し、青紫色世代がすでに立ち上がってきている。それ見たことかという気持ちだ(もっともこのビジネスで大きな利益を得たかといえば、疑問はあるが、それは次の世代への課題としておきたい)。

東京タワーと比べるのも変な話だが、新しいことを始めるときに、必ずしも万人が賛成することはまれだと思う。「古い船を動かすのは、古い水夫じゃないだろう」という歌があったと記憶している。「なぜなら古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを」と続く。新しいことを始めるには勇気がいるし、怖さもリスクも有る。それでも、翼あるものは進んでいくものだ。大空に向かって羽ばたかせることを夢見て。翼ある古い水夫も新しい水夫も新しい海に向かっていくに違いない。「なぜなら古い水夫は忘れないのさ、新しい海に向かうことのすばらしさを、その感動を」

DVD+RWのフォーマット作りとプロモーションを行ってきたメンバーは、今でも仲良しである。会社をリタイヤされた方も、光ディスク業界から離れてしまった人も、会社は変わらないが仕事内容が光ディスクではなくなった人も集い、和やかに酒を飲む。笑顔を交わしながら昔話や近況報告やこれからの話をする。想像がつくと思うが、いろんな会社が集まって活動することには、会社間の利害関係が絡む。DVD+RW/Rフォーマットを作る議論の中では、各社の技術やパテントを織り込もうとしたり、各自の会社の開発・発売準備状況に応じてフォーマット作成ターゲットを早めようとしたり遅らせようとしたりする。我々はDVD+RW Allianceの活動の中でお互いに戦ってきた面がある。もちろん他のフォーマットに対して一緒になって戦ってきた面もある。ライバルであり戦友であるDVD+RW Allianceのメンバーは、それゆえに仲がいいのかもしれない。そんな人たちが集い、遠慮ない会話をし、酒を飲む。胸にたずさえたランドマークをお互いに感じながら、背中に秘めた新たなる翼を羽ばたかせる準備をしながら。

▼▼以前の記事はこちらからご覧ください。
記録形光ディスクの使われ方
 

企業活動のモチベーションとして、最も大切なのは、顧客起点(お客様の立場に立って事業を考える)事だと思います。どんな企業も調査会社や、アンケートなどを通じて、商品を使用しているお客様がどう感じているか、何か不具合が無いか、を把握する活動をしていると思いますが、今回は、私が講義をしている学生を対象に、DVDの使われ方に関してアンケートを行った結果を載せます。  各「設問」ごとに書いたコメントは私の個人的意見ですが、他の観点からのコメントをいただければ幸いです。

・ 調査方法:記入アンケート方式(質問用紙を配って、記入してもらい回収)
・ 調査対象:某大学の精密工学科 1年生
・ サンプル数:163名
・ アンケート実施日:2006年8月


設問1:CD-R、CD-RWを使用したことがありますか?

回答

−コメント:
  個人で楽しむことを前提としていると思いますが、依然として、CDは音楽コピー用途に使用されていますね。一方でパソコンデータの保存の用途が4割近くあるのは、最近のパソコンにはフロッピー搭載が少ないからでしょうか。取り扱うデータにはデジカメの写真もあると予想されます。

設問2:DVD-R、DVD-RW、DVD+R、DVD+RWを使用したことがありますか?

回答

−コメント:
  CDに比べるとDVD使用体験者は、少ないが、それでも半数を超えています。最近のパソコンは、DVD記録機能を持つドライブ搭載のものが多いためだと予想されます。その他は、DVDレコーダでの使用が含まれていると思います。

設問3:DVDビデオレコーダを持っていますか?

回答

−コメント:
  DVDレコーダが市場に出てきたのは、最近ですが、既に半分近い学生が所有しています。この年代では普及率が高いように感じます。−R,+R合わせて49%、−RW、+RW、RAM合わせて46%という数字は、意外とRWディスクの使用率が高い。RWはRに比べでディスクの価格が高いが、レコーダだとVHSテープのように何回も書き換えて使用する頻度が高いようです。それにしてもRAMの使用率は4%と低いですね。

設問4:音楽は、主にCD、MD、メモリー(iPodなどのMP3)どちらを使用しますか?

回答

−コメント:
  左のグラフは、2005年のアンケート結果、右は2006年のアンケート結果です。2006年では、半導体メモリーが50%に達しています。一年前(去年の1年生)では、25%でした。1年間で倍増です。iPodの勢いが、MDの市場を食っている様子がわかります。それに比べるとCDは、影響を受けていない。

設問5:音楽は1日あたり何時間聞きますか?

回答

−コメント:
  これも、左のグラフが2005年のアンケートで、右のグラフが2006年のアンケートです。一日に3時間以上という層が減り、1〜2時間聞くという層が増えています。iPodなどの可搬装置の普及で、「いつでもどこでも音楽を」といったような音楽を聴く時間が増えていることを予想していたのですが、予想に反して、全体的に見ると、1日に聞く時間はそれほど増えていないようです。アンケートの対象が大学受験を乗り越えたばかりの一年生固有の性質なのかもしれませんね。


まとめ
  大学一年生の世代では、CD-R/RWは83%、DVD±R/RWは60%の人たちに使用され、その用途は、音楽、映画のコピーのみならず、パソコンデータのバックアップ、一次保存など多種類の使われ方をしていることがわかりました。DVDレコーダは46%の人たちが所有しています(最近の学生はお金持ちなのか、あるいは、勉強・遊び・アルバイトで忙しく、TVを録画する必要性が高いからなのか)。また、iPodなどの携帯型の音楽再生装置が急速に普及し、代わりにMDがシェアを落としているようです。 ここから、我々DVD+RW Allianceが提唱してきた記録形DVDの普及は確実に進んできており、その使われ方も、フォーマット作成時に想定したものに近い使われ方をしているようです。 意外な結果として、DVDレコーダでは46%が±RWあるいはRAMであるということでした。音楽用テープ(Cカセ)、ビデオテープ(VHSテープ)のように、書き換えができるメディアの文化の存続が、ここに見られます。しかし、DVDディスクの全般的なシェアは、±Rが圧倒的に大きいです。その理由は、価格にあるというのが一般的な見方です。しかし、今回のアンケートでは、価格よりも機能を優先し、±RW、RAMを使用していることが見受けられます。ここに企業の認識と、今回のアンケート調査対象であるお客様(大学生)の使い方とのギャップがあるのではないでしょうか。 以上。
光ディスクビジネスから得たもの
 

私は、ある社団法人の光ディスク委員会に参加しています。この委員会では、各メーカーからメンバーが集まって、業界の有識者、PC関連の関係者とのヒアリングや、メーカー各社へのアンケート調査等の光ディスク(ドライブ)業界の現状調査から、今後の動向をうかがうことを目的に活動しています。 ここでは、本光ディスク委員会の活動から得られた知見から、私の私見として、今後の光ディスクの動向と、期待と警告を述べたいと思います。

1.振り返り

CDからDVD、そしてブルー世代へと確実な技術進歩と、そのたびごとの市場の拡大をしてきた(ブルー世代は、まだ立ち上がり始めたばかりですが)光ディスク産業は、PC向けドライブだけでも年間3億台の市場規模に達しようとしています。今やほとんどのPCに光ディスクドライブ装置が搭載され、家庭には光ディスクを搭載したレコーダが普及してきました。兎にも角にも、これだけ大きな市場を形成できたのは、多くの人、企業の努力の賜物であると思います。
今、事実上の規格統一がされたブルー世代が、いよいよ市場で成長を始めました。昨年の日本市場でのレコーダでは、ブルー世代ドライブを搭載したハイエンドモデルが、品薄になるほど売れ、この勢いは、PCへの搭載につながるという勢いです。

2.問題提起

ブルー世代の立ち上げに、携わっている人たちは、CDやDVDで得た経験を踏まえて、慎重に進めようとしているように感じます。確かに、巨大な市場になった光ディスク市場ですが、過去、そして現在を振り返ってみると、必ずしも100点満点の出来ではないように見えます。次の項目が、私が感じている問題点です。

@ 過度の価格競争により、メーカーが利益を得られない事業構造。
A 倍速競争に代表されるようなユーザベネフィットから見ると必要以上のスペックを追求した不毛な競争(18倍速ドライブでも、最高速で動かすと振動・騒音がうるさいので減速して使用しているユーザが多いようです)。
B 毎度毎度の規格戦争。しかも日本企業間同士の戦い。これから得るものの少なさと、市場の混乱。

3.ブルー世代

これは想像ですが、たぶんブルー世代立ち上げに携わっている人は、上記のことを十分に痛いほど理解していて、繰り返さないようにしたいと強く思っているに違いありません。Bの規格戦争が終わったことは、喜ばしいことではあります。残念ながら去り行く陣営の、特に、エンジニアや標準化を行っていた人たちの口惜しさを痛く感じますが、特別な特徴をもたない複数の規格があるということは、ユーザ視点で考えると、混乱を招くだけのものであると思います。もちろん、各々の規格は特有の特徴を謳っているのですが、現在のユーザがその特徴を生かした各規格製品をきちんと使い分けているようには見えません。この規格戦争がもたらした結果から得たものは、必要以上の倍速競争(A)や、全規格をサポートするスーパーマルチドライブの開発が必要となったことによる開発工数の増大、などマイナス面があります。唯一のプラス面は、規格戦争を周囲が煽り立てたり、プロモーション合戦により、市場認知を早める事ができたりしたことです。いずれにしろ、ブルー世代では、事実上の規格統一ができたので、Bの課題はなくなりました。

Aに関しても、DVDの二の舞を踏むことはないであろうと願います。もちろん、高速化の技術検討、標準化準備は進められていますが、必要以上の高速化を望む声は、今のところ、強くは聞こえてきません。現在、PCがデスクトップ型よりもノート型が売れてきていることや、デスクトップ型といってもPCがデザイン性を重視するようになったことからスリム型ドライブ搭載が増え始めています。これらを背景にして、ドライブは、ハーフハイトサイズからスリムサイズの方に移行しようとしています。私が参加している光ディスク委員会でも2010年には、スリムサイズのドライブの方がハーフハイトサイズよりも多くなると予測しています。スリムサイズのドライブでは、高速にディスクを回す事ができません。このこととも絡んで、倍速競争は、DVDのような過激なものにはならないと思うのです。

問題は、@です。光ディスク市場がこれほど大きく成長して、いったい、誰が利益を得たのでしょうか? それどころか、最近は光ディスクから撤退する企業が現れています。確かに市場原理では、成長期においては競争から脱落する企業が出てきてプレーヤの数が適度に減り、その後、安定期に入ることになっています。安定期では、残存者利益を得て企業が潤うということになっています。現在、ブルー世代は立ち上がり始めましたが、光ディスク産業全体を見ると、安定期に入ってきたと見る人もいるようです。ここで残念に思うのは、利益をたたき出せていない企業や撤退する企業に、日本の企業が多いということです。現時点では日本の企業が多いが、今後は海外の企業も撤退をしていくのかもしれませんが(いくつかの海外のメインプレーヤも撤退をしています)。私は、ここに日本の企業が抱えている大きな問題を感じます。市場がいつかは安定期に入ることは誰でもはじめからわかっていたことです。そこを生き残るために日本の企業は、どんな仕込み・仕組みを作っておいたのか?というと、なかったのではないか?と疑わざるを得ない。ドライブは、PCやレコーダの部品ですから、市場が大きくなるほど価格競争が激しくなり、やがて海外のメーカーが参入してくることはわかっていたはずですよね。それに対する対策をちゃんと作っていなかったのではないかと感じるのです。むしろ反対に、海外のメーカーに技術支援をして育ててしまったのではないでしょうか?

4.そこにあるもの

PCの部品といえば、メモリーや光ディスクのように、初めは参加プレーヤが多いが価格競争激化で参加プレーヤが減っていくものと、CPUやOSのようにはじめからプレーヤが少なく利益をその時々にきちんと取りながらメーカーが成長していくものとの2つに分かれています。この違いは大きいですよね。ある人は、ブラックボックス化が重要なKFS(Key For Success:成功の鍵)だと言います。私は、そうは感じていないのです。KFSは、「はじめからプレーヤを少なくして、過度の競争をしないでやってきた」と方針を決めていることだと思います。ブラックボックス化は、それを実現するためのひとつの手段に過ぎません。さらに、自分たちの利益の取り分を確保するために、メモリーや光ディスクの価格競争を利用して、PCの価格を下げ、PCの市場を拡大しながら、自分たちの製品の価格を維持してきていたように勘ぐります。そして、この方法は、ビジネスのやり方として、有りだと思うのです。

日本の企業は、古くから欧米諸国に追いつけ追い越せで技術革新を続け、ようやく追い抜く事ができてきました。そうなると日本の企業が立つ舞台が完全に変わってしまいます。目の前のランナーを無我夢中で追いかけているのと、目の前の道を自分で探しながらトップランナーを維持するのとでは、やり方も考え方も、そもそもビジネス構造そのものを変えなければならないはずです。光ディスクは、初めから日本の企業がトップランナーであったにもかかわらず、見えない(実在しない)トップランナーを追いかける従来のやり方で、進めていたのではないでしょうか?だから、無闇な規格競争や、自ら敵を作っるような結果の海外メーカーの技術支援を行い、常に何かを追いかける環境を自ら作り続けてきていたのではないでしょうか?

以上は、私の私見です。 しかし、同じように感じている人はきっと多いと思います。

5.期待

もし、今、タイムマシンに乗って、光ディスクの創世記に戻ったと仮定したら、どのようなやり方がいいのでしょうか?
現在の多くの企業で採用されている手法ですが、手に入れた技術と、マーケットの将来性(成長可能性)との両方を見るやり方を使って、当時に戻って、見直ししてみましょう。 当時のPCにはフロッピーが搭載されるのが主流でした。HDD搭載がやっと始まったばかりでした。もちろんCD-ROMなどの光ディスク装置は姿かたちがありません。まだPCの普及が始まったばかりの時代ですが、この当時でもすでに、将来にデータ容量が大きくなっていくことを誰もが予測していました。マーケットの将来性を考えれば、一歩踏み込んで、これからはデジタル化の時代になるのだと判断することはできたと思います。当時あったレコード、テープ、紙、何もかもみんなデジタルコンテンツを格納する物に変わると判断することは、今となっては当たり前でしたが、当時も先見の明がある人達ならわかったはずです。そこまで、見えたら、研究室で産声を上げようとしていたデジタルデータの記録が可能な光ディスクは、とてつもない市場に化けるのではないかと読むことは、自然にできたことですよね。この時点で、そう読んだ人は武者震いがしたはずです。ものすごく巨大な市場が今生まれようとしていることを知ったわけですから。さらにもう一歩すすんで、このビジネスチャンスを自分たちの会社だけで独占しようとしないで、日本発の、そして、日本がトップランナーとして先頭を切るビジネスを作ろうと考えることが重要です。ここまで方針ができれば、後は方法論です。少なくとも、今までと同じ考え方でビジネスを始めると、多くの企業が参入してきて過度の価格競争を招くようなことは予測できたはずですから、何かほかの方法を考えるべきです。例えば、光ディスク装置というハードウエアのみにとらわれずにアプリケーションまで含めた市場を想定したビジネスの形を考える方法もあります。関係するビジネスを含めて大きく捕らえることは、とても有効な方法です。この方法で最も大切なことは、ユーザ視点で考えるということです。市場(ユーザ)が求めているのは、デジタルデータを記録できる箱(あるいは円盤)そのものではなくて、当時あったいろいろな記録媒体が持つ不便性(保存寿命、レコードのノイズ、取り扱いの不便さ、など)を解決してくれるということそのものなのです。先ほどPCのCPUの例をあげましたが、CPUは高速演算してくれるチップでしかありません。これだけでは何も便利さを生みません。しかし、これにOSやソフトと連携することにより、表計算やデータ処理を高速で行えるという、ユーザにとって便利なものが生まれ出て、それが、市場に受け入れられるのです。そして、ユーザにとって便利なものを提供する事が、事業として適正利益を得る事につながるのです。ここまで考えなければいけません。もちろん当時も考えていたのでしょうが、日本の企業の多くは、光ディスク装置という箱を作ることに集中しすぎてしまい、最終的にユーザへ便利さを提供するところまで、手が届かなかったように感じます。
光ディスク装置というハードウエアのみにとらわれずに、アプリケーションまで含めた市場を想定するということは、具体的にどういうことでしょうか? 私は、光ディスクというハードウエアを作る企業と、アプリケーションを作る企業とが、分業して互いに助け合ってユーザへ便利さを提供する。あるいは、ひとつの企業が両方を行う。などのことができたら、今のような、過度の価格競争はそれほど起こらなかったのではないかと考えます。いろんな優秀な企業が、それぞれ自分の得意とする部分を分担して、協力し合いながらユーザへ便利さを提供する構造です。これであれば、各企業の開発力は、過度の競争を招くような、「誰もが同じものを開発ターゲットにしている状態」を避ける事ができます。ユーザはシステムを購入するわけですから、そのシステムを構成するパーツには直接的に魅力を感じません。よって、パーツは安ければ安いほどよいのです。また、パーツメーカが多すぎると当然今のような価格競争が起きて、システムメーカーに利益を摂取されてしまうという構造が生まれがちです。高度な技術を要求されて、開発に莫大な資源を投入しても、パーツであるという理由から、さらには、多くの企業が参入してきてしまったという理由から、適正な価格で売る事ができない。一方で、システムメーカーは、ユーザに最終的な便利さを提供することで、適正価格で販売する事ができる。そして、市場シェアを握っているシステムメーカーはそれほど多くない。この構造が、今の状況だと思います。 日本の企業は、高度な技術開発を伴うものに活路を見出そうとする癖があるように感じます。そして、多くの企業が同じものを目指して開発を行う癖もあるように感じます。このために、光ディスク装置のような高度な技術を必要とするがパーツでしかないものは、過度の価格競争を招いてしまう。以上をまとめると、ビジネス戦略に考慮するべきことが以下のようになります。

@ システムまで含めて、提供すべきユーザへの便利さとは何か?をます初めに考える。そして、これを唯一無二の大原則としてこだわり続ける。(全体を見る)
A そのために必要なものは何か(アプリケーションを含む)?を導き出す。(構成を見る)
B 他社と同じ物(あるいは似たようなもの)を作ることを目指さない。(独自性を考える)
C システム全体を自社で提供する事ができないのであれば、自社はそのシステムのどの分野に注力するか? 自社で作れない他の部分を他社と協力して、ユーザに便利さを与えるシステムを作り出す方法を考える。(ユーザへの便利さの提供を主軸とした業界を作る)

ひとつのパーツは、複数のアプリケーションとつなげることで、複数の便利さをユーザに提供できる場合があります。システムを構成する各パーツを作る各社や、複数のアプリケーションを作る複数の企業が、各々に、あるいは、協力し合って、プロモーションを行って多方面への市場を創生しながら、ドライブ市場のみならず複数のアプリケーション市場(この中には、PCを含みます)を広げてゆき、イニシアチブをとることができたらなぁと考えます。
この想像の根底には、ドライブはあくまでも部品・アプリケーションの実現手段であり、単純な価格競争になりやすい。そうなると、コスト力のある他の国の企業にやられてしまうというリスクが発生する。ここに付加価値を求めないで、アプリケーションを広げていくことで、ユーザベネフィットを追求して市場を拡大させ、手段としての必要不可欠なドライブも適正利益を得られるようにするという考え方(コンセプト)があります。

後からなら何でもいえるよ!ということでしょうが。似たような事が、現在、ほかの分野にもあるのではないでしょうか? 光ディスクにおける経験を、今後の日本のビジネスのあり方に少しでも役に立つ事を、心から願っています。
そして、最後に、ここまで光ディスクを立ち上げるために、多くの努力を惜しまないでやってこられた先輩方に、心からの感謝を、私は、きっと、ずっとし続けることでしょう。それが、現在の私の大切なモチベーションなのですから。

路地裏の魅惑

幅で5メートルも無い、長さは銭湯と家三軒分くらい。
辞書を調べると、
【路地裏】路地をはいり込んだ、表通りに面していない所。
【路地】 家と家との間の狭い通路。横丁の―を抜ける―裏。
と有る。
なんだかすっきりしないが、人と人とが行きかう、広場みたいな狭い路のことだと勝手に理解している。

この路地裏は、一方の端を忍不通りがふさぎ、他方の端を車2台がやっとすれ違うほどの路地がふさいでいる。忍不通りにふさがれたあたりに、掲示板が有る。普段は誰も目もくれないが、夏祭りと隅田川の花火の案内が掲示されたときだけ、銭湯帰りにチラリと見てもらえる。


他方の路地にふさがれたあたりに、変な柱が立っている。高さは、大人が跨げるくらい。この路地裏に車が入らないようにするために立てたのだろうか?先端が壊れているのは、何かがぶつかったからだろうか? とにかく物心ついたときから壊れている。小さいころ、これを飛び越えるのが目標だった。50年を優に超える今も頑固に何も変わらずにこうして立っている。この路地裏の端に立って、じっと見つめている。

朝は、魚をさばく音から始まる。タバコ屋の隣の魚屋の親父が、上半身裸で大きなまな板の上に置いた魚を出刃でポンポンさばく。子供が入れるくらいの大きなバケツに水を流しっぱなしにして、そこにさばいた魚をヒョイヒョイ入れる。ポンポン、ヒョイヒョイ。 威勢の良いポンポンは、路地裏みんなの目覚まし時計だ。魚屋が休む日曜日だけは静かに寝坊ができる。やがて、各家から朝食の香りが立ち込めると、サラリーマンは出勤開始だ。 銭湯の前に黄色い帽子をかぶった子供たちが集まり、班長さんを先頭に並ぶ。お母さんに手を振って、小学校へ登校だ。僕も六年生になったら班長さんになれるかな? でも同級生が3人いるからじゃんけんで決めるのかな? じゃんけん弱いかならぁ。と不安になりながら緑のおばさんに誘導されて忍不通りを渡る。必ず都電のレールを踏んずけるんだ!

このころ魚屋の親父は仕事を終えている。すると、銭湯に木材を運んだトラックが着いて、ボンボン木材を運ぶ。一人で黙々とボンボン運ぶ。路地裏を通る人、路地裏を挟んで向かい通しのもの干し場からお上さんたちが世間話をする。やがて3時前になるとどこからとも無く老人が石鹸を入れた桶を持って銭湯の前に並ぶ。みんな一番風呂が大好き。近所のお上さんに老人たちが混ざり世間話は続く。小学校から子供たちが戻り、路地裏にチョークで丸を書いたりして遊ぶ。ばあさんが大きな声で子供たちをしかる。でも、けして勉強しろとは言わない。お手伝いをしろとか、鼻をかめとか。。。 魚屋が店を開く。まだ客も来ないから遊んでいる子供を冷やかして笑う。「兄ちゃんは大きくなったら総理大臣になるんだよな。掃除大臣じゃないよな。」。子供は黙って遊んでいる。やがて、買い物客がやってくる。この路地には、タバコ屋、魚屋のほかに御茶屋も有る。でも、御茶屋に客が入るところを見た事が無い。そのせいか、御茶屋のばあさんが一番怖い。タバコ屋はお菓子も売っている。当たりの景品目当てに子供が何度もガムを買う。とうとうタバコ屋の親父が子供に聞く。「いったい何がほしいんだ?」あきらめて親父が子供にその景品をくれてやる。「ご飯だよ☆」の一声で、子供達がいなくなり、銭湯が開いて老人もいなくなる。夕食時間が過ぎると銭湯通いの人で、この路地裏はまたにぎわってくる。銭湯が閉まり深夜になると、銭湯で掃除をする音がする。銭湯の兄ちゃんは深夜も威勢が良い。桶を転がすカランカラン。そして一日が終わる。

あのころ。路地裏を中心に生活していた気がする。路地裏に行けば誰かがいた。それがあたりまえだった。家の玄関と路地裏とはとても不思議な感覚でつながっていた。同じような感覚で、他人同士もつながっていた。 あのころ。めったに思い出すことは無いけれど。ふとした弾みで、それは、ご飯を炊くにおいとか、温泉に行ったときに木でできた桶を見たときとか、街中に煙突を見たときとか、元気なばあさんが大きな声で話しているときとかに、思い出す。大切な記憶。いつかディスクに記録できるようになるといいなぁ。

DVD+RWドライブ開発物語

DVD+RWのドライブ開発は、DVDという名称がまだ無い時から始まった。
つまり、ROMの規格がまだ決まっていない時に、記録用ドライブの開発に着手したのだった。記録用ドライブとしてはMOがやっと市場に認知され初め、CD-Rの産声が上がり、CD-RWの製品化開発が始まった時点である。私の会社では、このときにCDの次の世代の記録できる光ディスクドライブの構想に着手していた。大きなプロジェクトを作り、そのプロジェクトの中に、メディアの開発、光ピックアップの開発、メカ・制御の開発、信号処理の開発など多くの開発課題ごとの開発チームが編成された。

私の会社は、MOからCD-Rへと大きく舵取り(進路変更)をし、世の中にCD-Rのメディアとドライブとを出したばかりだった。その製品(CD-R)の製品フォロー、高速化を狙ったCD-Rの新製品開発、さらに、CD-RWのメディアとドライブとの製品化開発を行っている最中のことである。当然、限られた開発人員は、CD-R、CD-RWの製品化開発に多くを割かれ、次世代(後にDVD+R/RWとなる)のための開発人員はほとんど確保されていない状況であった。

現行の新製品開発に影響されてしまうという理由から、製品化事業部の外で開発を行うこととなり、研究所にプロジェクトを起した。プロジェクトの開発メンバーは、複数の研究室から少しずつ集められた、ほとんどが光ディスクに関しては素人の集団で有る。ゼロからのスタートであったため、まずはCDの規格書(ブックという)の勉強から始まった。雛形としてCD-Rがあり、その記録容量を上げる事が唯一の技術課題であるが、いざ始めると結構厄介である。なにせメディアも光ピックアップも決まっていない、世の中に無いのであるから、設計自由度が多すぎて、何から着手していいかわからない状態であった。
ディスクのトラックの形状(深さとか幅とか)も決まっていないので、いろんな形状のディスクを作って、片っ端から評価をしていったことを覚えている。

やがて、DVD-Videoの規格が固まってきて、ディスクのトラックピッチや、光ピックアップの光源波長、対物レンズのNAなどが固まり、研究開発の条件の大枠が決まる。さらに、製品化事業部からエース級のエンジニアであるA氏が研究所に移動してきて、ドライブ開発プロジェクトのリーダーとなると、研究開発のスピードが加速され、我々の試作機第一号が出来上がった。ピックアップや機構部分は、パソコンに内蔵できるハーフハイトの大きさにできているのであるが、専用LSIがまだできていないので、エレキ回路はとてつもなく大きく、エレキ回路だけでパソコン1台分以上の大きさであった、
我々は、ディスクを回すモーターを載せたシャーシとピックアップを載せたシャーシとを二重構造にして、ディスクに対してピックアップをチルト補正(傾き補正)する機構が必要であると判断していたが、そのような機構(メカ)も制御するアルゴリズムも無かった。通常であれば試作機(チルト補正機構)を作ってから、それを動かすアルゴリズムを開発するという手順を踏むのであるが、試作機開発とアルゴリズム開発とを平行して進めることにより開発期間を短くしたかった。そのときS社が発売したDVDプレーヤ(記録はできない)がチルト補正機構を採用していることを知り、S社のDVDプレーヤを分解してチルト補正機構部分を切り取り、我々が開発している試作機にくくりつけて、アルゴリズムの開発を行い、平行して我々独自のチルト補正機構を開発するということをした。当時の私の実験室には、チルト補正機構部分を剥がされた可哀想なS社のDVDプレーヤが山になっていた(笑)。
この試作機は、当時のCOMDEXショー(現在はCES)でプライベート展示を行う(もちろんパソコン一台分以上の大きさであるエレキ回路は、展示台の下に置いた)。

LSIができ、我々独自のチルト機構も出来上がり、いよいよ完全なるハーフハイトサイズの試作機の製作に入る。試作機が成功すれば、製品化事業部に技術移管されることになる。世の中に世界初のDVD+RWドライブを出せるのだ。この最大の山場とも言うべき時に、開発テーマリーダーをしていたエキスパート級のエンジニアであるA氏が病気で長期入院をしなくてはならなくなった。A氏はわが社における光ディスクドライブ開発の第一人者である。ほとんど素人集団であったプロジェクトを引っ張り、ここまで開発を進めてこれたのは、A氏の冷静な現状認識と的確な判断、それに何よりも、プロジェクトのメンバーの厚い信頼があったからだ。私はメカ開発者であり、エレキ開発者のA氏とは技術分野が違ったが、プロジェクトの進め方や課題にぶつかったときにA氏に相談することにより助けられたことが何度もあった。しかし、A氏が休養に入ったとしてもプロジェクトは進めなければならない。A氏の代わりとして開発テーマリーダー代行の任務が私に回ってきた。無我夢中であったのであまり覚えていないのだが、当時は、A氏だったらこうするだろうと考える事と、プロジェクトメンバーを信頼する事の2つの点を私個人のドライビングフォースとしてやっていたことを覚えている。

プロジェクトメンバーのがんばりのおかげで、予定通りに試作機が完成した。
このことにより製品化事業部が本格的に動き出し、製品化の事業計画ができ、製品事業部に技術が移管されることが決まった。移管をスムーズに行うために、研究所と製品事業部と合同でのプロジェクトも組織された。
出来上がったハーフハイトの試作機は、ドイツのハノーバで開催されるCEBITショーに展示された。CEBITショー開幕の前日に、我々は会場に乗り込んだ。私より早く二日前に乗り込んでいた製品化事業部のメンバーの顔色が悪い。彼らは、予め送り込んでいた試作機の動作チェックをしたところ、全く動かない。どうして良いかわからず、我々の到着を待っていたと言う。試作機を確認したところ記録はできるのであるが記録エラーが多く、再生できないのだ。試作機は複数台を持ち込んでいたが、これが、全部動かない。
時期は3月で、会場は寒い。温度のせいかと思い、暖気運転をしたり、メディアを変えたりしながら、日本にいるメンバーと連絡を取り対策を検討した。日本にいるメンバーは徹夜で対応した(ドイツが昼間のとき日本は夜なのだ)。日本で対策用のソフトを急遽作成し、ドイツの会場で試作機のソフト変更をするという荒業もやった(当時はネットワーク環境が今日ほど発展していなく、日本側からソフトをダウンロードするのにも一苦労であった)。こうして、どうにか試作機が動いた。外に出ると、夜が明けて明るくなり、おまけに、雪が降っていた。昨日来たときには振っていなかったのに。
CEBITショーが開幕すると、CEBITの期間、試作機は俄然元気になり故障無く動き続け、デモは大成功に終わった。我々の展示ブースには人集りができた。

実は、この試作機は私の会社のブース以外にもOEM予定の顧客のブースでも展示を行った。あるとき、OEM先のブースでの試作機にトラブルがあるとの連絡を受け駆けつけると、ドライブのトレー(ディスクを載せる部品)が出たままで、引き込まなくなっている。トレーが外れてしまったのだ。これは、PCからドライブをはずし、さらにドライブを分解しないと治せない。急いで私の会社のブースの控え室に戻り、精密ドライバーやピンセットを持って、OEM先のブースの裏側で、試作機の分解修理を行った。

世界で始めてのDVD+RWドライブはこうして産声を上げ、多くのパソコンに搭載された。そして、現在ではほとんどのパソコンに内蔵されるまでに至った。
プロジェクトのメンバーの何人かは、製品事業部に異動し、何人かは研究所へ戻った。A氏も復帰した。
私は、製品化事業部に異動し、中国の工場に詰め込んで、最終製品にするまでの更なる生みの苦しみを味わった。こんなに大変な思いは二度としたくないなと言いながらも、現在、新しい製品開発のプロジェクトリーダーをしている。

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