観念的な話題が二つ続いたところで、すこし休憩しよう。
2005年4月1日の通称「e-文書法」の施行に伴い、民間事業者等が行う書面の保存において、法人税法や地方税法、証券取引法など紙での保存が義務付けられていた財務関係文書などの電子保存が認められることになった。対象になるのは、取引先から受け取った見積書や注文書、契約申込書、送り状、納品書、検収書、請求書といった税務関係書類、カルテや処方箋といった医療関係書類、定款や株主総会議事録などの書類である。これらの電子保存媒体に光ディスクが適していることはいうまでもなく、JIS規格(Japanese Industrial Standards:日本工業規格)では、JIS Z6017「電子化文書の長期保存方法」の中で保存記録媒体としてCDとDVDを規定した。ここで、CDとDVDが認められた理由として、(1)膨大な電子化文書を記録できる大容量であって経済性に優れること(2)長期に安定して保存が可能なことをあげている。また、電子保存の具体的な方法や要件については、e-文書法では規定せず、文書内容の重要性や消失・改ざん・漏えいなどが発生した場合の影響の大きさなどによって、各省庁が省令によって定めている。
さて、そうなると我々としては、DVD+RWフォーマットディスクを電子保存媒体として採用してもらいたいと思うのだが、そのためには、まずDVD+RWフォーマットをJIS規格にする必要があることが分かった。DVD+RWフォーマットには、書換形のDVD+RWと追記形のDVD+R二つの規格があり、それぞれ規格書が作られている。これらの規格書には、ディスク外形や平坦度などの機械特性、反射率や屈折率などの物理特性、記録時のレーザパワーなどの電気特性が記述されていて、HP、三菱化学メディア、フィリップス、リコー、ソニー、ヤマハ(アルファベット順)の6社が発行している。規格書のことを一般にフォーマットブックあるいは単にブックと呼び、DVD+RWフォーマットでは新しい規格が決まるたびにブックが追加される仕組みになっている。例えばDVD+Rでは、2.4倍速(バージョン1.0:2001年)、4倍速(バージョン1.1:2002年)、8倍速(バージョン1.2:2003年)、16倍速(バージョン1.3:2004年)、2層2.4倍速(バージョン1.0:2004年)、2層8倍速(バージョン1.1:2005年)、2層16倍速(バージョン1.2:2006年)の7種類の規格書が発行されている。後のバージョンは、以前のバージョンの内容を包含しており、それを読めばそれまでに発行されたDVD+R規格について知ることができる。発行年からは、これらが非常に早いスピードで規格化されたことが分かる。このようにして作成される規格のことを、フォーラム規格とかコンソーシアム規格というのだそうだ。CDやDVDのように製品の立ち上がりや技術進歩が早いカテゴリーでは、必然的に民間企業が自主的に規格化活動を行うことになる。もうひとつ重要なことは、ブックは最初から英語で作成されることだ。これにより世界中のメーカーがこの規格を使って製品を作ることができる。ブックの編集作業は、フィリップスが担当している。
DVD+RWフォーマットの製品を作るためには、ここまでの規格化で十分であるが、DVD+RWフォーマットを発行する6社では、これらの規格を国際標準にするためにECMA(European Computer Manufacturers Association:欧州電子計算機工業会/ヨーロッパ各国の情報通信技術に関する標準化
を取りまとめる団体)に送ることにしている。国際標準にする理由はここでは割愛するが、ここから先は、民間企業が主導する規格化ではなく、公的位置付けを有する標準化機関が行う規格化扱いになる。このようにしてできる規格をデジュール標準といい、これは明確に定められた透明・公正な手続きに基づき、広範な関係者の参加を得て策定されるため、一般的に標準化まで長期間を要する。一方、DVD+RWフォーマットのECMAでの標準化作業は、フィリップスが担当する。ヨーロッパで影響力の大きいフィリップスの提案ということで、ECMA規格として制定されるまでは数ヶ月と短いのだそうである。ECMAに登録されると、今度はISO/IEC(International Organization for Standardization:国際標準化機構 ⇒ 各国の代表的標準化機関から成る国際標準化機関で、電気及び電子技術分野を除く全産業分野(鉱工業、農業、医薬品等)に関する国際規格の作成を行っている/International Electrotechnical Commission:国際電気標準会議 ⇒ 各国の代表的標準化機関から成る国際標準化機関であり、電気及び電子技術分野の国際規格の作成を行っている)に送られる。そこではファストトラック制度により、ほとんどの場合そのままISO/IEC規格となる。ちなみに、ファストトラック制度は、ISO/IECのメンバーボディが既存の規格を国際規格案として提案できる制度で、これにより、国際規格審議が迅速化される。これ以上の国際規格は存在しないので、このISO/IEC規格にすることがDVD+RW標準化のゴールである。
ここで、話をJIS規格に戻そう。JIS規格にすることを、ここではJIS化と呼ぶことにする。一般にJISで作成される規格はデジュール標準であるが、今回のJIS化は、英語で作成されたDVD+RWフォーマット規格をJIS様式に直してJISに制定してもらうことである。規格本質部分の変更は行わず、ひたすら英語を日本語に翻訳することが大半の仕事である。日本発の規格であるのにJIS登録が最後というのも残念ではあるが、最初に日本語で規格を作ったのでは世界で広く使ってもらうに支障があるから、と言われると逆らえない。ということで、フィリップス、ソニー、三菱化学メディア、リコーから4人のメンバーが出てJIS化を行うことになった。DVD+R規格書は180ページほどのボリュームがあり、それを四つに分けて、私は附属書と呼ばれるパートを担当することになった。附属書には、規格の主体となる事柄であるが、便宜上分けたほうが説明しやすい専門用語の定義や測定法、測定装置、変換表などがまとめられており、その性格上、図表を多く含んでいる。したがって分担が決まったときは、文章が少ない分だけ楽そうに思えたのだが、実はそう甘くはなかった。
図の翻訳は、図の表題や、測定装置であればその中に描かれている部分の名称、グラフであれば目盛や線の名称など、これらすべての英語表記を日本語に直すことである。そこで、ISO/IEC規格のPDF(Portable Document Format)ファイルをベースにして、そこから図を切り出し、その上に日本語訳をかぶせることにした。細かいことをいえば、矢印の表記方法などISO/IEC規格と微妙に異なるJIS特有のものがあることがわかったが、そこまではしなくてもいいだろう、ということになりほっとした。ところが、こうして一通り作業を終えたのだが、図表がぼやけていることに気がついた。PDFを貼り付けたせいのようだ。気に入らないので、図表の作成を一から作り直そうかと思案しているところへ、フィリップスからDVD+RW規格を作成するのに使ったワードファイルが送られてきた。それで、ワード上での図の編集が可能となり、二度手間になったのだが、美しい出来映えにすることができた。
文章の翻訳は、ほとんどが説明文なのでそれほどの苦労はなかった。ただし、日本語の表現は、財団法人日本規格化協会が発行する「JIS原案作成のための手引き」の指示に従うことが求められた。例えば、“AとB"は、“A及びB"にしなさいとか、“…は,附属書C に説明されている"は、“…を,附属書C に示す"のように動詞はできるだけ能動態にすることなどである。
このようにして各自が翻訳した結果を、毎週のように江戸川橋にある光産業技術振興協会(写真)に持ち寄った。大画面に翻訳案を映し出し、皆で一字一句も見逃さない姿勢でチェックしていく。これは、非常に根気が要る作業だったが、今まで規格書の全部に目を通したことなどなかったので、疑問が解けたり、新たなことが理解できたりして、自分にとって収穫であった。そんな中、ささやかな楽しみは、光産業技術振興協会近くの香港市場という中華料理屋での昼食だった。ラーメンに、小さなチャーハンがついていたり、チャイナドレスのウエイトレスがたどたどしい日本語で応対してくれたり、リーズナブルな価格というのもうれしかった。検討作業は2006年3月に始まり、翻訳ドラフトを12月に提出した。
我々の活動には、「+フォーマット光ディスクJIS素案作成WG」という名称がつけられ、JIS制定時に規格書巻末の「解説/原案作成委員会構成表」に加えられることになった。原案作成委員会の構成を下に示すが、+フォーマット光ディスクJIS素案作成WGで作成したドラフトは、さらに四つの委員会に送られて校正作業を行い、それぞれの委員会で承認を受ける。
(1)+フォーマット光ディスクJIS素案作成WG
(2)光産業技術振興協会/光ディスク標準化委員会/フォーマット分科会
(3)光産業技術振興協会/光ディスク標準化委員会/第3メディア分科会(+R)
(4)光産業技術振興協会/光ディスク標準化委員会
(5)JSA(Japanese Standard Association:日本規格協会)
(6)JISC(Japanese Industrial Standards Committee:日本工業標準調査会/経済産業省に設置されている審議会でJISの制定を行う)
ドラフト提出後の進捗を聞いたところ、2008年夏にJISCでの審議が始まり、2008年中に発行できるかどうかという状況とのことであった。実に2年の時間がかかっている。この間、ドラフトは校正を受けて、また受けて、自分らしい表現がすっかり消えうせてしまった。かなり細かいところまでメスが入り、誰が書いたのか分からないほど没個性的な文章になった。もちろんこれでこそ、究極の客観性を持ったJIS規格書といえるのであるが。
(2008年6月13日)